僕は、いま
地球が新しい価値観を形成する
プロセスに入っていると感じます
新しい意識を持った人たち。
新しい文化を持った人たち。
優しさと愛情という価値観
ポジティブなスパイラルを形成し
共存する幸せで豊かな人生の為に
BOGDAN PARKHOMENKO 🇺🇦
ボグダン・パルホメンコ🇯🇵
ウクライナは1200年の歴史の中で一度も他国を攻めた事がありません。
1991年に独立したウクライナは、1994年には世界で三番目の核保有国でしたが、それを世界平和の為に放棄しました。
また独立してからの30年間、完全な中立国でした。
そんな状況にも関わらず、皮肉な事に契約を結んだはずのロシアが2014年にクリミアを取り上げ、続いてドネツクやルガンスクを自分の物にしようとしました。
これは日本で北海道と沖縄がアメリカに取られると言う事と同じぐらいショックな事でした。そしてウクライナは8年間、ロシアからの一方的な攻撃に耐えましたが、2022年2月24日ロシアから全面戦争を仕掛けられました。
1994年に結ばれた「ブダペスト覚書」は、ウクライナの核兵器放棄を条件にアメリカ・イギリス・ロシアがウクライナの安全を保障するというものでした。しかし、ロシアは一方的にウクライナに侵攻を続け、ウクライナは他国の助けのない中一国で、ロシアというウクライナよりも何倍も大きい国の攻撃を受け止めています。
私はアメリカや国連やNATO、EUが正義と言う世界はもう時代遅れの幻想だと感じます。
新しい考え方、新しい価値観、争いのない新しい地球人の誕生が
今早急に求められてるのではないかと感じます。
MESSAGE
PROFILE
ボグダン・パルホメンコ
これまでの歩み。
・1986年 ウクライナのドニプロ生まれ
チェルノブイリ原子力発電所で起きた事故の直後、キーウから逃れた母が汚染の
少ないドニプロで僕を出産。
・1990年 ソ連から母親と日本の神戸に移り住む。
母親は神戸大学で研究職についていました。ソ連崩壊時に母親が離婚。
シングルマザーとして僕を育ててくれました。
・1991年、ソ連崩壊後は、母親と共に日本に残る。
・1995年、阪神淡路大震災を神戸の東灘で経験。
その後大阪に移り住みました。
・大阪の堀江小学校、堀江中学校を卒業。
・ウクライナに戻り、キーウの高校、大学、大学院を卒業しました。
・大学では、経済学部及び情報アナリスト学科の2つの修士課程を終えました。
・2004年のオレンジ革命へは学生として参加。2013年のユーロ革命へは
社会人として参加しました。
・2022年の全面戦争開始後、ジャーナリスト、アナリストとして
ウクライナ現地情報を発信しながら、ボランティア活動を続ける。
日本国内で多数のメディア出演実績、YouTubeフォロワー15万越え
SNSの総フォロワー数は22万人超え。
自身が出演したNHKドキュメンタリーが月間ギャラクシー賞を獲得。
職歴
・学生時代は通訳・コーディネーターとして、N H Kや毎日新聞などの案件を担当。
・大学卒業後は三菱商事へ就職し、その後MTG株式会社へ転職。
・2019年にSEPA LLCを立ち上げ、日本や他国の製品を扱う貿易会社を経営。
・2023年に「サイバーコサック」と言うIT企業を設立。
アーティスト実績
日展作家・森本龍石の元で書道を学び、毎日書道展では2度の入選。
独自のネオカリグラフィーと言う塗装された砂を使ったカラフルで立体的な作術を構築。
アーティストネーム雷龍(RAIRYU)として5つの個展開催実績を持つ。
・アーティストとしては2006年にウクライナのアート雑誌「ギャラリー」で
コンテンポラリアーティストトップ30に選ばれる。
・2016年にウクライナのキーウで開催した個展がアートオブザイヤーを獲得。
祖父
ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・パルホメンコ
【経歴】
・ドニプロ化学技術研究大学院卒業
・ザポリージャ変圧器工場でのエンジニア
・ドニプロ、メタルルグアトマティカ工場での設計エンジニア
・ドニプロ化学技術研究大学で助教授、准教授
プロセス・デバイス部門長、学部長、所長を従事。
・ウクライナ教育大臣(1984-1991)
・国連におけるウクライナ代表(1990)
・ウクライナ技術科学アカデミー創設者
・ウクライナ教育副大臣(1996-1997)
・ウクライナ科学技術センター所長(1997-2007)
・ウクライナ技術科学アカデミー第一副総裁
・国立知的財産権大学、創設者及び総長
・ウクライナ科学技術センター顧問(現在)