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ウラジーミル・ドミトリエヴィチ・パルホメンコ

【経歴】

・ドニプロ化学技術研究大学院卒業

 

・ザポリージャ変圧器工場でのエンジニア

 

・ドニプロ、メタルルグアトマティカ工場での設計エンジニア

 

・ドニプロ化学技術研究大学で助教授、准教授、プロセス・デバイス部門長、学部長、所長を従事。

 

・ウクライナ教育大臣(1984-1991)

・国連におけるウクライナ代表(1990)

 

・ウクライナ技術科学アカデミー創設者

 

・ウクライナ教育副大臣(1996〜1997)

 

・ウクライナ科学技術センター所長(1997〜2007)

 

・ウクライナ技術科学アカデミー第一副総裁 

 

・国立知的財産権大学、創設者及び総長

 

・ウクライナ科学技術センター顧問(現在)

​祖父のこれまで

【幼少時】

大飢饉下(ホロドモール)の1933年12月16日にソビエト社会主義共和国連邦アシガバードで生まれる。当時ウクライナでの暮らしは厳しく、人々は飢えに苦しんでいたため、軍隊に在籍しバスマチとの戦闘に参加していた伯父が妹にあたるウラジーミルの母親を呼び寄せ、祖父母の家の近くの村で暮らしていた。父ドミトリー・サヴェリイヴィチ・パルホメンコは、列車の機械工でスターリンを乗せた特別列車の車掌長も勤めた、母カテリーナ(チェルニショワ)・パルホメンコは専業主婦として夫に支えていた。

 

【当時を振り返って】

「祖父母は私にとって、先生でもあり支配者でもありました。彼らのお陰で何が許され、何が許されないかの線引きを学びました。祖父母から学ぶことは多かったですし、私も自分の人生を構築する際に、無意識に彼らのやり方を模倣していました。もし私が自分の人生で何かを成し遂げたのであれば、祖父母の影響は非常に大きかったと言えます。」

 

【高等中等専門教育省大臣就任】

1984年から、ソビエト連邦の高等中等専門教育省大臣として勤める。

この時期の高等中等専門教育省の主な仕事は、教育プロセス管理組織、基礎科学および一般技術教育への新たなアプローチの構築、及び生産側との関係強化だった。この時期、大臣を務めるウラジミール指揮の下、高等中等専門教育省は国内経済への貢献を目的とした、科学教員及び専門家への教育手法の現代化や高等教育の管理手法の再構築などの多くの重要な対策を進めた。

 

【更なる功績】 

国の最高レベルでの公的な業務には、年齢制限という限界があるが、 ウラジーミルは年齢というものを非常に相対的な概念として捉えており、1997年にはウクライナ科学技術経済情報研究所(UkrISTEI)の所長に就任した。就任当時、施設の運営費用や光熱費として多くの資金が必要だったが、国からの予算は殆ど下りない状態だった。危機的な状況を乗り越えるため、研究所の方向性の抜本的な変革や、専門家たちの姿勢の変容、教育の充実と要求される製品の生産を次々と行い、施設の変革に努めた。その結果一部の分野では、UkrISTEIはウクライナ国内でも海外においても、トップレベルの地位を築いた。特に研究開発分野でのデジタルデータベース構築はウクライナ国宝としても認定された。この研究所はのちに、STI州間調整協議会と国際科学技術情報評議会においてウクライナの代表となった。ウラジーミルはこれらの組織での、ウクライナの全権大使として従事した。

 

ウクライナ技術科学アカデミー第一副総裁として従事している際、先々を見通し知的財産についての問題を放置することが出来ないと考え、ウクライナにおいての知的財産関連の教育システムを構築するため、自身で国立知的財産権大学を設立し、後に総長にも歴任する。

 

戦争を二度経験し、巨大国家の繁栄と崩壊を目撃したのち、80代になった現在も、将来への計画を持ち、エネルギーと力強さ、情熱に満ち溢れた状態で日々を過ごしている。会議や出張、講義、レポート、問題への解決策の模索、新たな書籍の執筆、勉強、研究論文の執筆 - など、現在も精力的にこなしている。 

【受賞歴】

 

・科学技術博士号受賞

 

・ウクライナ高等学校名誉労働者受賞

 

・ 名誉科学者勲章受賞

 

・ 赤旗勲章を2度受賞

 

・ウクライナ国家科学技術部門賞受賞

 

・ ウクライナ大統領名誉賞 — «The Order of Merit 3rd class» 受賞

 

・ウクライナ教育優秀賞受賞

 

・ウクライナ科学教育アカデミーメンバー任命